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東京高等裁判所 昭和55年(ツ)86号 判決 1981年8月25日

上告人・被控訴人・被告・控訴人・原告 小沢勝子

訴訟代理人 片山一光

被上告人・控訴人・原告・被控訴人・被告 藤田きよ 外一名

訴訟代理人 田中重仁

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人片山一光の上告理由一、二、三1について

原判決挙示の証拠関係に照らすと、所論の点に関する原審の認定は、正当として是認することができ、右認定に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する事実の認定を非難するものであり、採用することができない。

同三2について

民法上、侮辱が不法行為として成立するかどうかは、行為者がなした表示の内容、手段ないし方法及び右表示がなされた時期、場所並びに関係当事者、ことに被害者の職業、年令、社会的地位等諸般の具体的事情を総合的に考察して、当該表示が被害者の人格的価値に対する社会的評価を低下させるかどうかを判断して、これを決定すべきものであり、侮辱が公然となされたことは、右判断に当たり斟酌すべき一つの事情ではあるが、不法行為成立の必須の要件をなすものではないと解するのが相当である。それ故、侮辱が公然となされたものではないという一事により不法行為責任を否定することは許されないというべきである。本件において、原審が適法に確定した事実関係のもとにおいては、上告人が被上告人らに対してなした侮辱は、たとえそれが公然となされたものとはいい難いとしても、なお強度の違法性を有するものというべきであり、上告人が被上告人らを侮辱し、その名誉を侵害したとして、上告人に不法行為責任を認めた原判決の判断は、正当として是認することができ、右判断に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よつて、民法四〇一条、九五条、八九条に従い、主文とおり判決する。

(裁判長裁判官 渡部吉隆 裁判官 蕪山嚴 裁判官 安國種彦)

上告代理人片山一光の上告理由

一、原判決には判決に影響及ぼすこと明らかな法令違反

1 経験則違反

原判決は「これらの物件を取得した事情について聞き合わせることもせず、それらが紛失した被控訴人(上告人)の所有物であつて控訴人らが盗んだものと軽信して」と認定している。

しかし「くわ、みかん類似の木」を自己の所有物として信じた場合、これを調査を警察に依頼することは、社会一般人として当然の行為、行動であり又権利回復の行動をなすことも何ら非難するに値いしない。民事であれば裁判所に民事訴訟の手続をなす、刑事的性格のものであれば所轄警察署その調査を依頼する。

法治国家における人々の当然の権利となされているものであり、これを「軽信し」と認定することは法治主義理念(法令と同旨すべき観念)に反するのはもとより、社会一般の経験則違反も甚だしい。

2 理由不備又は審理不尽

更に「控訴人らが盗んだもの」と具体的指示をした証拠は全然存しない。

金子証人によると「小沢さんが盗まれたということであつたと思います。庭にあつたということであつて、名差しで告訴したということではありません」と証言し、上告人は「ただ警察に調べてくれと頼んだだけ」とこれ又被上告人らを指示はしていない。

本件の場合被害物件と思われるものが被上告人の玄関先に在るという「場所的」特定・指示を措しているに過ぎないのである。

又右調査依頼の経緯は被上告人らが全然知らないことでありこれを「弁論の全趣旨」ということで認定したとすれば、証拠の採証を誤つたものと云わなければならない。

この点原審の理由不備又は審理不尽のそしりを免れないものがある。

二、原判決には理由に齟齬がある。

1 原判決は「金子刑事課長の面前で前記(五)に認定した放言をした際泥棒として被上告人らの氏名をあげた形跡こそないけれども、……右放言が被上告人らを指していることは、疑問の余地がない」と認定しているが、このような断定的証拠は存在しない。

被上告人藤田きよの供述によると

「金子さんと私達夫婦が居たところで云ったのですから他に誰も居ないので、私達がそう云われたのだと思いました」

「私達の前で云われたので、私達が言われているのではないかと思つたのです」

同藤田益三郎の供述によると

「誰が盗んでいると名前は出しません」

「その場の雰囲気から私のことだと思いました」

と何れも被上告人らが主観的に一方的に被害感情を抱いたのであつて、前記放言があつたとしても、客観的に右供述をもつて本件事件を理由あらしめる証拠にはできないものである。まして上告人は被上告人らを故意に侮辱する行為をしたことは全然ない。

上告人は「藤田さんがほかにも物をとつたことがあるというようなことはいいません。沈丁花、雨樋のことは話しませんと述べて前記放言を否定しているのである。

却つて第三者である金子証人は「隣近所のことでもあるし、刑事課長の立場として穏便にということで事情説明をしたように思つています。泥棒は泥棒なんだ、他にも沈丁花、樋等を盗まれていると云つた細かい言葉のやりとりは記憶ありません。この件については小さな問題で双方に事情を説明して納得していただき、その後双方から何も云つてきておりませんのでそれで解決したと思つていましたから事件としての記憶が殆んどないのです」と証言している点からみると、昭和五一年四月一三日に於ける当事者間に於いては本件で問題とされ、又原審が認定している「名誉感情を害する行為」が客観的になかつたとみるのが当時の実情実態である。

この点原審は被上告人らのみの供述を一方的に援用している。若し被告人らが感情を害され、憤満やるかたない状況であつたとすれば第三者である金子刑事課長の印象に残つているはずである。

五 仮りに原判決認定の前記言動があつたとしても、これを名誉感情-侮辱と判示することは以下の通り法令違背である。

1 経験則違反

本件は被害物件-権利侵害をめぐる事実の調査における行為であり、又その調査方法に不満をもつた上告人の言動であるが、およそ一般人が自己の権利が侵害され或は侵害されたと信じた場合、これの回復のため一所懸命、時に感情的言動におよぶこと経験則上ありうることである。

そして本件での権利回復-調査に対する上告人の不満は被上告人らよりむしろ職務者である警察官に向けられているのである。そこでのやりとりに多少上告人に感情的言動があつたとしても止むを得ない状況にもあつたものであり、被上告人らを侮辱するという故意はみじんもなかつたものである。

仮りに構成要件的充足があつたとしても、本件前後の状況から違法性を阻却するものと云わなければならない。

2 法令違背

又仮りに上告人に前記言動があつたとして名誉感情を害し侮辱したとされるためには「公然性」がなければならない(刑法二三〇条、二三一条)。即ち不特定又は多数人が認識することができる状態(今日の通説判例)になければならない。これを本件についてみるに、金子刑事課長の外被上告人らだけの間に於ける言動であり、右課長は刑事治安の職務者として少なくとも本件被害物件の調査(本件では単なる告げ口でなく警察に於いても相応の信証がなければ調査に乗り出すことはない)を担当するという「職務上特殊な関係に限局」せられた者であり不特定人ではなく「侮辱」に相当する要件事実(刑法的にみると構成要件)に該当しない。

そして公然性とは実質的に伝播性の有無にかかるものであるが、右金子刑事課長には職務従事中にあつた公務員であり、法律上秘密を守らなければならない義務がある。だとすると本件の場合伝播性は全然ないのである。以上のことから原判決には法令の解釈・適用の誤りがあり、判決に影響を及ぼすことが明らかなる法令違背のそしりを免れない。

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